持っていないものを知る

前回のブログで、「算命を習得するのはつくづく時間がかかる」
なんてことを書きましたが、時間がかかるとことさらに思うのは、
私の算命の命式では、中心星が「玉堂星」だからなのかもしれません。

「玉堂星」は、命式に日干を生ずる五行があって、
陰陽の和合が成立する関係となるときに現れます。
(↑この一文の意味が理解できるまでに、実は私は、結構な時間を要しました)

私の場合、中心星=自分の場所がこの「玉堂星」。
なので、普段の行動において「玉堂星」の特徴がよく表れます。

「玉堂星」は、水性(-) 。
雨水、霧、小川、など、少量で静かに溜まっていく水を表し、習得本能の星です。
前例を重視し、伝統を重んじ、体や行動をもって知性を磨くというよりも、頭の中で模索し、思考を巡らせ、既存のものを追求していきます。
古典を学ぶ、書籍から学ぶ、というのは自然にできる行動です。
目上の意見や教えを素直に受け取るので、師を間違えないことが重要。
ともすると、机上の空論になったり、温故知新の域を出られなかったり、また、
間違ったことを教えられた場合、それもそのまま身につけてしまう危険性もあります。

占い、とくに算命学のように、まずは基礎知識を順番に頭に入れていくことから始まるものは、最初はとくに、意識しなくても、息をするように自然にできるんですね。

でも、だからといって、万事オールオッケーとならないのが、人間であり、人生。

身につけた知識を応用して、自分なりに発想を広げる、だとか、
一度自分の身に消化したうえで、自分の表現として打ち出す、だとか、
自分も含め、今を生きる人間にどうあてはめて、応用・活用していくか、
などなど、明確な道筋がないものを実践的に磨いていくことは、
意識的に取り組みむよう自分を仕向けないと、自然任せでは停滞しがちです。

そして、おそらくそれが、
同じ習得本能の「龍高星」水性(+)との違いなんだと思います。

この「習得する」ことに対する微妙な違いを、私は、算命を知って、
自分の命式を読んで、また様々な人の命式を観察して、実感していきました。

こんな風に、算命で自分に足りないもの、全く持っていないものを客観的に知ることは、
自分が持っているもの、自然にできる得意なものを知ることと同じくらい、
日々の生活に役立てるという視点において、とても有効だと、私は思っています。

ということで、
算命学で自分の「持っているもの」「持っていないもの」を知りたいという方は、
ぜひ、こちらへお越しいただければと思います。よろしくお願いします!

11/15(木)ウラナイトナカイで鑑定をします!

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