「辛」とラベリングして見えてきたこと

前回のブログでは「玉堂星」の話を書きましたが、これは算命学の命式では「陽占」として表れます。
「陽占(中心星)」が表すのは、実際に生活するうえで発揮されるその人の性格や能力で、「陰占(日干)」は、表には出にくい内面的な本質を表します。
「陽占」「陰占」はそれぞれ、五行をベースに似たような観点で意味を捉える側面もあるので、勉強しはじめの頃は、「で、結局どう違うの?」と混乱したりします。
これもまた、書籍やらブログやらいろいろな情報を読んだり、命式を見ながらいろいろな人の話を聞いたりしていく中で、徐々に違いを体感できるようになってきます。

天海玉紀先生のブログで紹介されていた、ヤスミンの富山ヒロコ先生の「陰占(日干)=be動詞」「陽占(中心星)=一般動詞」という説明や(https://plaza.rakuten.co.jp/hirokonet/diary/201803170000/)、甘夏弦先生のオーケストラの楽器でのたとえ話(https://ameblo.jp/amanatsu83/entry-12409215189.html)や、「陰占(日干)=楽器」「陽占(中心星)=楽器をどう使うか」(http://lady-joker.com/20181003-10stars/)などの話も、とてもわかりやすいと思いながら、読ませていただきました。

「陰占」で、私の本質を表す日干は「辛」です。

「辛」は、陰の金質で、宝石・剃刀・ハサミなど、加工された金属・貴金属を表します。辛抱強く現実派で、鋭い観察力を持ち、合理的でセンスの良い人が多く、磨かれれば磨かれるほど輝く、と言われています。
「宝石! きらびやかでなんて素敵な」とも思いますが、その意味するものに、良いも悪いもなく、ただ事象があるのみというのが算命です。

一方で、神経質で、感受性が強く、デリケートで、プライドが高い、完璧主義者、気にしすぎ、こだわりすぎ、几帳面…も「辛」の特徴と言われます。これ、そのまま垂れ流しになると、付き合うのがちょっとめんどくさい人…と思いません?

算命を使って自己分析するにあたって、私は最初は自分の日干をなかなか客観的に捉えられませんでした。無意識、デフォルトすぎて。でも勉強と理解が進めば進むほど、「辛」であることの自覚が強まってきました。それはもう、うんざりするくらいに。

自分を振り返って、仕事でも、プライベートでも、必要以上に気をもんだり、取り越し苦労をしたり、過敏に反応して妄想の中で傷ついたり、他の人にも、結果独りよがりの基準での反応・対応を求め過ぎたり…。そういう内面の動きは、まさしく「辛」っぽいと私は捉えています。

年をとって良くも悪くも、タフかつ鈍感になってきたのもありますが、自分を「辛」だと外側から捉え直したことも多大に影響して、どんどんデフォルト発生する感情に囚われすぎないようにはなってこれたと思います。
内面的にフラットでいられるというのは、自分もやっぱり楽で快適ですし、おそらく周囲にも、妙に切れる鋭いハサミを不用意に仕向けるような迷惑なことは減ってきた(はず)と思うので、そういう体感からも、私は算命で自分をラベリングして、外からながめてみることに意味を感じています。

これはあくまで「私の」「辛」の実感についての話なので、他のすべての日干「辛」の人にもそのままあてはまる、というわけではありません。ただ、自分で自分を知る手がかりとして算命を使うと、そんなこともあるんですよ、という一例だと思ってもらえれば幸いです。

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