カオスで得たもの

算命学の命式で、ご本人を表すものとして、天中殺、陰占、陽占が命式に出てきます。実際に鑑定をする場合は、さらに大運や年運も含め、ご質問に応じて必要な箇所を見ていくのですが、人間とは、1人の中に、かくも多様なものが混沌と混じり合ってできあがっているものなんだと、冷静に考えればあたりまえであることを、命式が読めるようになればなるほど、つくづく思い知らされます。
先日、10代のころからの付き合いの友人の一人が、若干シリアスな局面にぶちあたり、私を含む3名に緊急集合がかかり、相談という名の井戸端会議(?)がありました。相談者は、占いに一切興味がないのですが、別の一人はえらく占いに関心が高くて、スマホで命式を表示しては、私に占いの切り口でしゃべるように言ってきて、まあ、基本的には聞き流していました。占ってほしいと思っていない人を占うなんて、余計なお世話を超えた迷惑ですから。それでも、そもそも占いって何がわかるのという話をちょっと挟む流れになったり、多少聞かれたことには答えたり…なんてことをしたりもしていて、その場はまさしくカオス。まあ、こうしたメンバーで集まると、占い話があってもなくても、いつもカオスにはなって、それはそれで楽しんでたりするのですが。
で、さんざんしゃべり倒して解散したあと、あらためて友人の命式を思い返してみると、出会ってから20年以上の友人の来し方、そして彼女が現在置かれている状況と考え方、そうしたさまざまが、天中殺、陰占、陽占のそこかしこに、しかも「なるほど」という分量や配分で表示されているのがわかり、自分の命式読みの理解がぐぐっと進んだという充実感を、一人味わうことができました。
算命学は勉強で知識を増やすのと同時に、身近な人の命式を出して読み解いていくことの両輪で理解が深まる。どの先生もおっしゃっていた基本を、あらためて再確認した出来事でした。

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